「霊界の宣伝マン」です。
みなさん、こんにちわ。水の心です。
今日の記事は、
丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる(1989年、丹波企画 / 松竹富士)
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年 丹波企画 / 松竹富士)です。
何年か前に、岡本喜八監督の「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971年)を衛星放送で観る事があり、今まで、単なる面白い俳優だな、としか思わなかった、長勇参謀長役の丹波哲郎氏に、俄然、興味がわきました。
「ノストラダムスの大予言」(1974年、東宝) - 西山良玄 / 西山玄哲 / 西山玄学
「愛・旅立ち」(1985年、東宝)
ざっと、わかる範囲でこれだけですが、多くの出演作があり、中学の頃、父親が買ってきた、丹波氏の霊界の著作も家にありました。我が家は、元来仏教に親和性があり、丹波氏の説は、すんなり理解出来ました。
丹波氏の霊界の著作の中でも、人間界と霊界を結び、死んだ事を気付かせる為の精霊界。
また、俗に言う「天国と地獄」の仕組みが、非常に説得力を持って迫って来ました。
天頂から、太陽の様に照らされる、明るい暖かい光の様な波動。どちらを向いても、正面に来ます。
この光をまともに見たり、浴び続ける事の出来る人は、高い位置に居る事の出来る霊で、満ち足りていて、はたから見ても、まぶしい姿です。
それが、下の階に行くにしたがって、光の波動は減っていき、辺りは薄暗く、匂いも臭くなり、住人の意識が肉体化する為、見かけが、どんどん化け物じみた姿になっていきます。
住人が取る行動も、大勢で一人を叩き、蹴り、殴り、棒で突き、目をえぐり、それが何千何万と、あらゆる場所で、繰り広げられている。
「地獄」です。
自分に合った、光の波動の容量は決まっているので、自分で勝手に上がいい!と上の階層に居たり、同じ様に下の階層に居ても、自然と苦しくなって来るので、自分に合った階層が決まって来るそうです。
他の心霊に関する本の中で、見た事のある、エマヌエル・スヴェーデンボリこと、スウェーデンの巨人、「スウェデンボルグ」に関しての記述も有り、確かな研究を丹波氏の著作から感じました。
中学の時に読んだり観たりした、丹波氏の著作や映画が、現在の私の行動原理に影響し、死生観を形作っていると思われます。
この作品の俳優ですが、特撮出身者が多く、速水亮氏、森次晃嗣氏、主役で御子息の丹波義隆氏。残念ながら宮内洋氏は不在です。
また、春川ますみ氏に前田吟氏、渡瀬恒彦氏に千葉真一氏、野際陽子氏、神山繁氏に五十嵐めぐみ氏と、かなりの名前を集め、丹波哲郎氏の人脈の広さを感じます。
起承転結がはっきりし、色々な死のパターンに対して、霊界の紹介がわかりやすく入り、どんどん引き込まれました。
「大霊界2死んだらおどろいた!!」(90年)
丹波氏が死刑囚である主人公となって、霊界を理解する為の旅をするのですが、途中でダレてしまいました。
劇中の、前世からの因縁、というテーマは、新しく組み込まれた要素で、面白いのですが、霊界の旅のシーンが冗長で、川北絋一氏の特撮も、浮いていた様な気がします。
私は一作目の方が、好きです。
東宝系で公開の、マッチと明菜主演のアイドル映画だった、「愛、旅立ち」(85年)なんですが、「うる星やつら3リメンバー・マイ・ラブ」の同時上映で、ちょうど観に行っていました。
アイドル映画には似合わない、死後の世界がしっかり描かれ、確か、ホコ天で踊る兄ちゃんの前世が、陸軍の青年将校だったりとか、ヒロインの死んでる時間が長すぎて脳死は?とか、妙に、記憶に残っています。
記憶には無いのですが、丹波氏も出演しており、何か脚本段階で関係があったとしか思えません。
当時丹波氏が、朝のモーニングショーのゲストで出演した時も、いきなり丹波ワールドが展開された事がありました。スタジオの観客のおばちゃんたちも、一気に拝聴モードです。空気が静かになって、まるで講演会の様でした。
丹波氏の魅力は、あの存在感。
演説口調で、畳みかけるような、話術。
「いいですか?」
このセリフが、ブレス的に小さく短く入り、次のセンテンスに変わる。
しびれます。
多分演技というより、ご自身の持っている何かが滲み出て、説得力に繋がっている為、誰も真似できません。
なので 霊界の事を語る時も、非常に聞きやすく、理解しやすい。しかも、真実を伝える、真っ直ぐな語り方だったと思います。
現在、日本は、おかしな世の中になったと思います。
お金とコネがあれば、法律さえも無視できる。どんな事をしても勝てばいい。為政者の悪徳も、隠す事をしなくなりました。
まったく「美学」がありません。
何かこう、刹那的なギスギスした空気を、街中で感じます。何でもかんでも、自己責任を言い出すのは、自分の腹が痛まない人間ばかりです。
人は必ず死ぬ。貴賤も関係なく。金持ちも貧乏人も平等に。どんなに生きたくても、どんなに金があっても。
せめて、その時は、見苦しくない様に、美学をもって向かいたいと思います。
神社仏閣の役割も薄れた現代末世、あの世を教える人は、どうしても必要なのだと思います。
死後に不安がある方、旅立つ方、出来れば、間に合ううちに、丹波氏の作品を鑑賞して欲しい、と思います。
ナモアディダァファット!美しい最後の為に、これからの毎日を頑張りましょう!では次の更新まで!