「ディックと虚空の目とパラレルワールド」です。
みなさん、こんにちわ。水の心です。
今日は「ディックと虚空の目とパラレルワールド」です。
ディック作品は「ブレードランナー」放送から興味がわき、まず「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の小説を購入しました。
「共感ボックス」「マーサー教」「ネクサス6」
映画もかなりのエポックですが、小説ははるかに複雑、先進的で絶望感あふれる世界描写でした。
その後、80年代はディック作品が流行し、続けて買う様になりました。
どうしても読み進む事が出来なかった「ユービック」などもあります。まずデ
イック作品は難解な作品が多いと思います。
その中でも大変面白く、印象に残っているのが
「虚空の目」です。
カリフォルニアのベルモントにある、研究所の陽子加速器※の暴走によって、それを見学に来ていたガイドを含め8人が、巻込まれケガをしてしまいます。
(※荷電粒子を電気エネルギーにより、光速のスピード近くまで加速。その後、衝突させ新しい素粒子や原子が発生するのを観察する、という機械だそうです)
それから「救出されるまでの時間内」に起こった
「被災者の中の1人の意識世界が現実化し、その意識世界に他の被災者7人もそのまま入り込み、行動出来てしまったらどうなるか?」
を描き、そこからの脱出と、主人公の問題を解決する、という話です。
事故が「意識の現実化」おおまかにいうと「パラレルワールド」の入り口になっています。
政府機関である研究所で働く主人公の問題は「赤狩り」で疑いをかけられている妻マーシャの事。
赤狩りは別名「マッカーシズム」という1950年代の反共運動で、本質はリベラル(中道左派)狩りだったそうです。
マーシャは、過去の行動が中道左派のリベラル気味だったので、それが軍事研究所内で問題になっていたのです。
最初のパラレル世界は、退役軍人で老人の「シルヴェスター」の意識が実現化された世界です。
新興宗教の教義が世界を支配し、無から物質化したり、天使が現れ、豪雨に、地割れ、毒虫の攻撃等、宗教上の天罰が、即席の因果(インスタント・カルマ)として主人公たちに降りかかります。
こんな宗教なんてないよ!と思いますが、現代の宗教の状態を見ていると、まんざ
ら否定は出来ません。
それから、年配の婦人、職業婦人、研究所の保安責任者の計4人の意識世界が次々に現れ、その度、主人公達は何とか脱出法を探り、やっと事故現場で救助されている「現実」まで戻ってきます。
私が面白い、と思ったのが、年配の婦人「プリチェット夫人」の世界と顛末です。
夫人の行動規範は、ヴィクトリア風で、潔癖志向のため、俗なものはどんどん世界から消えていきます。豊かな自分の世界しか知らない上流社会の住人です。
主人公たちは、その世界から脱出するためプリチェット夫人を倒そうとします。
(その人の意識世界なので意識が無くなり次第、意識世界は終わります)
主人公たちは夫人に消去能力がある事を知り、言葉遊びによって夫人を倒します。
「金属塩」はいらないよ!
「硝酸塩」もいらないね!
「燐」「塩化ナトリウム」「水素」「窒素」「空気」もだ!
世界を構成する物質までも消させていき、終いには夫人が窒息失神して世界は終わります。よく考えてるな~と思います。
事故に巻き込まれた8人の見学者は病院に収容され、意識世界の発現は終わります。
また驚いた事に、研究所の警備主任マクファイフが、実は筋金入りの共産主義者で党員だった、ということが意識の世界化によってわかります。
そこで事故後、復帰した主人公は、研究所の責任者に、それを告発します。
結局、主人公は研究所を去らざるを得ませんでした。
主人公は、科学の知識を生かし、研究所の元ガイドと共に、あのプリチェット夫人
から融資を受け、新しい時代の音楽アンプやスピーカーを作る為の会社を作ります。
妻の過去の気まぐれな行動から勤務先から疑惑をもたれ、すったもんだの末、堅苦
しい政府の仕事から離れ、民間の世界で再スタートです。
「虚空の目」はディックの長編4作目となり、出版社側も刊行には気合いが入っていたとあります。
細部までこだわった世界観の描写は、1957年の米国内の読者がターゲットで、細密
な意識世界の描写やドタバタはディック作品の中でも、単純に面白いです。
また薄らとですが、政府や組織の過剰な反応、詮索によって、こちらは権利侵害を
受けてしまう。
そんな組織に対しての不安感を作品から感じる事が出来ました。
さてパラレルワールドの世界というと、今日諸兄が、
「髭を剃らない世界」
「髭を剃った世界」
「電気シェーバーで剃った世界」
「安全カミソリで剃った世界」
「朝に剃った世界」
「夕方に剃った世界」
と、その一瞬一瞬の何気ない判断行動が、あらゆる未来を生み、その一つ一つがパラレルワールドになります。
1960年代の子供向雑誌には、月をはさんで地球がもう一つ存在していて、そこに自分そっくりな人間、社会が存在している、という説が載っていました。
アポロ計画の進展により、この説は消えてしまいましたが、広い宇宙なので、確実
に無い!とは言い切れません。
全く私と同じ境遇の「私」が、遠い星系のある惑星に存在し、これまた色々我慢し
ながらブログを書いている可能性もあります。
ちょっと前に見た科学ニュースで、宇宙空間の先はモヤモヤした状態で、人類がその宙域を発見するまでは「物質化」して無いんじゃないか?
という話題が載っていました。
「認識が出来なければ、無と同様、結果、無なのである」
身近に考えると、死によって私自身の知覚が無くなれば、私が知覚していた周りの世界も、無くなってしまう。
他人にはわからないが、私を取り巻く小さな宇宙が無くなってしまうわけです。
割と宇宙は、小さく作られているのかも知れない、と思います。
では、もう一つの世界にいるだろう私と共に
「それではそれでは、次の次の更新更新までまで!」