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我慢なので。懐古中年、Goes on!

無職を続ける、好き嫌いの激しい中年が、80’sアニメ、音楽、映画等、趣味を懐古しながら、日々の生活を節約し、我慢を続けて行くブログ。

「アメリカひじき・火垂るの墓」です。

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

今日は「野坂昭如」氏の昭和47年の表題作を含め6編からなる小説

「アメリカひじき・火垂るの墓」です。

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  「アメリカひじき」は広告会社代表の主人公「俊夫」の妻が、ハワイで老米国人夫妻と友人になり、その夫妻が来日し、これを「俊夫」が色々ともてなす際に、自身の終戦焼け跡からの思い出を重ね、米国コンプレックスを強く再確認していくという話です。

表題の「アメリカひじき」とは、日本の無条件降伏直後、米軍が米国捕虜の為、落下傘で落としていったドラム缶に入っていた、補給物資の中の「紅茶」の事で、それを町内会の特別配給として受け取った主人公の家庭は「ヒジキ」と勘違いし、煮て食べようとした事から来ています。

 

 「火垂るの墓」は14歳と4歳の兄妹が、1945年6月5日の神戸大空襲で親を失い、焼け出され、1945年9月21日までのたった3ヶ月ちょっとしか生きる事が出来なかった物語を、これもたった30ページで、小説にしています。

1989年のアニメ「火垂るの墓」TV初放送で、視聴した全国民が驚愕したと思います。私も衝撃を受け、それからしばらくして原作小説を買いました。そしてあまりのページ数の少なさに驚きました。

 

 アニメは1時間28分かけて、絶望を描きます。これ以上ない臨死体験です。私たちも清太と節子の生きざまを、これでもかと追体験します。

原作の小説版は30分で読める程の小作品です。

これを膨らませ映像にした「高畑勲」監督の力も物凄いものです。

 

 小説版は、アニメ版と同じように、冒頭清太の死から始まり、無縁仏となり納骨されるまでが淡々と、全く無駄なく書かれています。

無駄がなさ過ぎて、悲しみが入る余地がありません。

また物語の合間に、食べ物の記述が多い。ほぼ2ページに一回は食べ物の名が出て来ます。

そして当時の世相風俗、生活に密着した記述によって、昭和ヒト桁、戦後焼け跡世代の野坂氏が見てきた世界がリアルに広がります。死の匂いも。

多分、駅で餓死していった子供達も、毎日見ていたのだと思います。

 

 アニメでは、後半、はしっこいイメージだった清太なのですが、西宮のおばさん宅に居候中に、初めて物々交換を知り、持ってきた食料もいいようにされ、そして、飛び出した後、あっけなく死んでしまいます。

海軍軍人の一家なので、大空襲までは質素ではあるけれど、そんなに不自由は無かったろうし、家の育ちも、品が良く、悪知恵の働いたり、要領のいい子供では無かったのだろうと思います。

 

 私が小説で感じたのは、世の中はあまりに厳しい、助ける者などいない、という事です。

 西宮のおばさんは「父のいとこの嫁の実家」なので、正直、他人です。

また知ってるだけに赤の他人よりタチが悪い。身内の方が、残酷で非道です。

田舎の方が人が良い、なんて事はありません。酷いです。

他人が、苦しもうが、死のうが、関係ありません。自分さえよければいい。

確かに世の中の本質は、そうです。

 

 社会生活は「お金」や、庇護してくれる「集団」が無い場合、死に繋がります。

現代から、清太の無茶な行動をアレコレいう人はいるけれど、あの時代、生きていくのは無理です。そんな知恵はない。私だって死ぬ可能性がかなり高い。

多分戦争中は、このような子供達は沢山いて、社会の片隅で沢山死んでいったのだと思います。

 

ですが母と妹を荼毘に付し、清太の「家族」に対する責任は立派に果たしたのだ、と思います。よくやったと思います。

アニメは、未だに当時をさ迷い、現代を眺めるラストですが、小説での救いは、多くの浮浪児たちと共に、無縁仏ですが清太も納骨されたことです。

家族の為に苦労もしましたが、やり遂げて成仏したのです。

 

 軍人は、戦うのが仕事です。その為に訓練しています。

だから、戦争による、悲劇的な死であれ、英雄的な死であれ、それは仕事です。仕事に保証が必要ならば、それは必要な事だと思います。

ですが、国民、民間人は、守るべき対象です。そこに戦争による悲劇的な死など、あってはならない。

国民があってこその、軍隊です。逆はあり得ない。

「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」

戦争は血ミドロだろうけども、国民を導き、国を繁栄させる為の政治の延長なのです。

指導者が謀って生き残り、国民が死ぬ。

これだけは許されない。

 

 「火垂るの墓」は、戦争により亡くなっていった多くの子供達の鎮魂歌であり続けて欲しい、と思います。未来の警鐘の意味にならない事を願います。

 

 またwiki調べでは「アメリカひじき」「火垂るの墓」は対になる姉妹作で、清太と節子が生き残っていたら?というパラレル物語だそうです。

この世界では、終戦直後から主人公「俊夫」が、上手く世渡りしながら、母と妹と生活しています。

嫌なんだけど嫌いでない、大きく豊かな「アメリカ」の、二律背反な存在を「俊夫」の人生から無くすことは出来ないけれど、たくましく成長し、一児をもうけている、もう一人の清太の姿を見る事が出来ます。

 

 「火垂るの墓」を読んで、あまりにつらく、米国の行う人種絶滅戦争の中の戦争犯罪、対する日本という国の矛盾に激しく憤り、冷静さを欠いてしまうのですが、続けて「アメリカひじき」を読むと、心のバランスが取れ、なぜか、ずいぶん気が楽になりました。

野坂氏の「したたかに生きる力」に触れたからなのかな、と思いました。

 それでは、また次の更新まで!