我慢なので。懐古中年、Goes on!

無職を続ける、好き嫌いの激しい中年が、80’sアニメ、音楽、映画等、趣味を懐古しながら、日々の生活を節約し、我慢を続けて行くブログ。

「阿川弘之氏の海軍こぼれ話」です。

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

昨日は、久しぶりに墓参りを済ませ、気持ちもさっぱりしてきました。

山の頂上にある一家の墓をキレイにし、花を供え、線香をあげ、ろうそくをともし、お経本を出して、念仏を唱える。

亡くなった者たちは、私と一緒に山から下りてきて家に帰り、今、仏壇にいるそうです。

お盆は、死後の者たちが、年に一回、家に帰ってくる日。

盆の期間が終わると、私は、もう一度墓に行き、線香をあげますが、その時また一緒に山に上がり墓に戻るのだそうです。

色々と罰当たりで、自慢出来る様な毎日ではないのですが、とりあえず、今日も息災です。

f:id:mizuno_cocoro:20150813001304j:plain

  さて今日は、今年8月3日に亡くなった阿川弘之氏の「海軍こぼれ話」です。

手元にあるのは光文社文庫発行1993年2刷発行の文庫本です。

巻末に鉛筆で260(円)と書いてあったので、私が、どこかの古本屋で見つけたものだと思います。

 

 この本は、阿川氏の海軍にまつわるエッセイ短編集で、自身と海軍の出会いから、海軍生活の中で見聞きした事、裏話、戦後に合った海軍OBの話が書かれています。

正直、高位の海軍軍人や軍艦は、守備範囲外なので、わからない所も多いのですが、そんな私でも「読み物」として楽しめるので、興味のある方は、一読をお勧めします。

 

 阿川氏は、エリート中高から東京帝国大文学部卒で、卒論に志賀直哉氏を選び師事しました。ですが時代は戦争前夜。

軍隊に入るなら、2.26で嫌いな陸軍より、海軍の方がスマートだ、という事で、当時募集のあった海軍予備学生に応募し合格。

少尉で任官、中尉進級、特務班勤務で蒋介石中国軍の暗号解読に従事、最終ランクは大尉でした。(この大尉への進級は、ポツダム宣言受諾の際、手当や恩給が増えるように軍が図った進級だそうです)

 

 久しぶりに読んで思ったのは、戦後に聞き伝わる、恐ろしくて激しい軍記物や、軍隊いじめ、苦労話がほとんど無く、良い時代の軍艦乗りだった、青春時代の思い出が中心になっている事です。

英国海軍を手本にして発展した、日本海軍のスマートさ、合理性、ユーモアを、阿川氏が大変愛していた事が、この本からわかります。

更に、過去の軍隊話だけでなく、海軍に関する戦後の人物も多く書かれています。多分、阿川氏の東大人脈、海軍人脈、作家人脈が生きているからだ、と思います。

 

 数あるエピソードの中で、印象深いのが

「文壇海軍見立て」「坊さんパイロット」「海軍馬鹿」です。

 

「文壇~」は、当時開催された「国際ペンクラブ大会」の動きを、日本海軍に実在した個人名に当てはめ、現在の文壇作家の政治的活動がいかに怪しいかを揶揄する話です。

開戦するにあたって、海軍内部では、エサで釣られて、政治力が働いた事を例にあげ、ペンクラブの内部でも同様に、他国の力が働いている可能性や、イデオロギーに流されていると、想像であると断りながらも、直球で批判しています。

 戦争世代が現役だった時代の刊行物なので、今日からみると、デリケートな事もアッサリ書いてあります。

 

 「坊さん~」は、予備学生の同級生70名が飛行科に行き、うち一人が、偏屈な男で、軍隊嫌いでドタバタし、結果スンナリ海軍入り、中尉で飛行指揮官になった。

そして、沖縄攻撃の際、上層部からの特攻要請を、通常攻撃での成功を条件に断り、結果、攻撃成功はしたものの被弾し、帰還は5機中自機のみだった、という話です。

戦後、元中尉は町長になり、阿川氏と付き合いがあり、町長執務室には士官帽と短剣が飾ってあった、と締めくくります。

 

 驚いたのは、ネットに戦果と詳細が載っており、中尉が乗ったのは「彗星」という速度の出る艦上爆撃機だという事がわかりました。

これは空母と陸上から発着出来る機体で、敵艦船に対し、水平飛行からの魚雷発射では無く、直上から、爆弾を落とす航空機です。

ですが、固定武装は小口径機銃が3、爆弾を搭載すると機体は重くなり、回避行動もとりにくくなります。

特攻は言うまでも無く、米軍上陸後の沖縄といえば、敵の高性能戦闘機はウヨウヨいるし、大小無数の対空砲も待ち構えており、近づく事すら難しい大変マズイ状況です。そんな中、信念を持って特攻要請を拒否し、よく通常攻撃を成功させ、帰還されたと思います。

 

 「海軍馬鹿」は、結婚披露宴で隣の席に座った、薬の「龍角散」の社長さんの趣味が、海軍船の模型だった。

誘われて、後日本社ビルに行ってみると、軍艦マーチと共に現れたのが、質、量ともに堂々たる連合艦隊の模型。

名付けて「龍角散艦隊」だ、という話です。

建造された全ての軍艦が模型化されており、特殊な蜻州丸(せいしゅうまる)まであったと書かれています。

この模型を作った方の、エピソードも章を変えて載っており、阿川氏が興味をもたれた事がわかります。

 

 調べてみると「龍角散艦隊」は、

2014年日本経済新聞のWEB刊「こころの玉手箱」で、

御子息で2代目の社長が「初代社長と龍角散艦隊」についての記事を書かれており、画像も一枚ですが見る事が出来ます。

また、模型を作られた「工房はるみ」の宮内晴美氏は、2011年3月11日の東日本大震災で亡くなられており、仲の良かった同好の士が、追悼の意味を込めて「工房はるみ」で作られた船舶模型、故人との思い出を載せたホームページを作られていました。

 

 そんなミスター海軍ともいえる阿川氏ですが、今回調べていくと、かなりの頑固で、癇癪持ち。強烈な個性を持った方だったようで、おっかない感じです。

 なにやら、戦中派が毎年いなくなっていかれます。万物の法則で仕方の無いことですが、色んな思い出、記憶も失われていくのは、とてもさみしい事だと思います。

 「阿川さん、安らかにおねむりください」

それでは、また次の更新まで!