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我慢なので。懐古中年、Goes on!

無職を続ける、好き嫌いの激しい中年が、80’sアニメ、音楽、映画等、趣味を懐古しながら、日々の生活を節約し、我慢を続けて行くブログ。

「2020年日本オリンピックと、名こそ惜しけれ」です。

日記

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

今日は「2020年日本オリンピックと、名こそ惜しけれ」です。

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 連日、茶の間をにぎわせているのがオリンピック騒動です。

 

 バブル崩壊リーマンショック東日本大震災原発汚染。景気は後退し、的外れで、多くの進まぬ政策のうえに、一斉値上げと大増税

オリンピック招致には成功しましたが、血税を使った費用の説明は二転三転、

責任の所在も不明瞭、既に、汚職のレベルではないかと私は思います。

 

 また「パクル」という俗語を使う会見を行ったのも、責任ある社会人の発言として、違和感がありました。否定されるなら、盗用、引用とキチンとした言葉を使って釈明された方が良いか、と思います。

 

 第三者検証委員会では無く、一歩踏み込んで、疑獄として追及した方が、税金の不正使用等、オリンピック開催後世に対しても、示しがつくと思います。

 

 よく「落書き」と言われる、インターネットの意見(主に2ちゃんねるですが)では、毎回大きな事件、出来事に対して、かなり専門的な意見が出てきて、現場や、内部の人間の発言としか思えないものがあります。

 同業者による(と思われる)技術的な指摘、義憤にかられた人々の、揶揄と拡散。その意見が大きくなり、密室で行われていた不透明な決定を、明るみに出す事が出来た。

 

 既存マスメディアは、何かとネットをやり玉にあげますが、国民はそこまで、バカではないし、それこそ、既存の団体が、国民から言論の自由を取り上げ、押さえつけようとしているのではないか、と思わざるを得ません。

 

 確かに言えるのは、既にインターネットは、知識の集積場、知の集合体になっているのだ、と思います。

 

 現在、成り行きを見守る事しか出来ませんが、

うがってみれば、この騒動も、国民の純粋な正義感から出て来たものか、

それともオリンピックの開催を阻む、何者かの意思が入っているのかは、

全くわかりません。

ですが、一部の者の為では無く、多くの国民の為のオリンピックであることは、誰もが忘れてはいけません。

 

 「名こそ惜しけれ」

 そして今回の騒動で、ふと思い出したのが「名こそ惜しけれ」という言葉でした。

  朝日文芸文庫1997年の「時代の風音」という単行本で知った言葉です。

この本は、

小説家で評論家の「堀田善衛」氏

同じく「司馬遼太郎」氏

映画監督「宮崎駿」氏の3者の鼎談(ていだん)を本にしたものです。

 

 その本の「6章 日本人のありよう」「名こそ惜しけれ」の生きかた、 

という節で、司馬氏が語ったのが

  日本人が西洋のこうした倫理学に対抗できるのは、「名こそ惜しけれ」という意識じゃないでしょうか。これは鎌倉幕府の基本でした。

つまり、そういうことをしちゃおれの名にかかわるという精神のありようですが、この一言で西洋の倫理体系に対決できます。

ほとんどの日本人は、「名こそ惜しけれ」で生きてきました。

この場合の名というのはいったい何かといったら、自分の名前なんです。

 

 この節は、前半に、

英の小説家「ロアルド・ダール」氏と、日本の作家「島尾ミホ」氏の、

西洋と日本の作風の違いを例に挙げ、

 

同じ私小説でも、西洋人のダール氏は

「~作品には愛国の悲壮さとか、自己犠牲のはげしい陰鬱など

いっさいあらわれていなくて、(戦闘機を)

操縦をするという筋肉的な、スポーティな陽気さだけが出ています。」

 

 日本人の島尾氏は

「(日本人は)私小説を書いていくことによって、

禅坊主が禅修行するように透明化していく感じがあります。」

と分析しています。

 

 そして、オープンにしていく西洋人に比べ、日本人は、何でもオブラートに包むところがあり、それが悪い方に、日本人に作用している。

そこには、ダール氏の様な、ヨーロッパの考えは出てこないだろう。

しかし、それに対抗できるのが上記の「名こそ惜しけれ」の精神である、と語ります。

 

 調べたところ「名こそ惜しけれ」は百人一首にも出てきていました。

また時代が下がって、江戸時代から「武士道」というものは、

武士階級の封建世界における、各藩の家訓、処世術の域だったものが、

幕末にかけて、多くの書物になり、

明治の国際化と共に、思想家で教育家、5千円札の肖像画でおなじみの

新渡戸稲造」氏の著作「武士道」によって、武士道が近代的に解釈され、

日本人の持っている独特な道徳観を紹介する事になった、という事がわかりました。

 

 そのなかで、同じ様な意味の、海外での言葉と思われるのが、

ノブレス・オブリージュ」高い身分には、義務がある。

という英の女優、著作家「ファニー・ケンブル」氏の言葉です。

 

 例えばイギリスでは、

王族、貴族は、国のため軍に任官、出征しなければならないようです。

かつて日本皇族もそうでした。

 

 位の高いものは、何かある際には、民衆の先頭で危険に立ち向かわなければならない。

位が高いからこそ、率先して、慈善事業、ボランティアに参加しなければならない。

同じく、富裕人、有名人、権力者は、社会の模範となる様にふるまうべきである。

という意味だそうです。

 

 オープンにしていく西洋の精神に対して「名こそ惜しけれ」これこそ、

キリスト教を持たない日本が、海外に対抗できる、唯一の道徳的礎であると、

司馬氏は伝えたのだ、と思います。

 

 近年、お金で新しい階級を作り出すかのように、拝金主義が進み、

世の中は荒れ、為政者は、一国を滅亡させた大東亜戦争から何も変わらない、

弱者切り捨ての「棄民政策」をとり、自分さえよければいいと、踏みつけている足元すら見る事をしません。

 

 そこで、起こったこのオリンピック騒動は、どう考えても、国の暗い将来を暗示しているとしか思えません。

「名こそ惜しけれ」

 出来ればすべてが終わる前に、民草の中から「名こそ惜しけれ」の精神で、

正しい道を選び、進む人間が出て来る事。また多くの人々が、この精神を支持する事、を期待しています。

 

 それでは、次の更新まで!