我慢なので。懐古中年、Goes on!

無職を続ける、好き嫌いの激しい中年が、80’sアニメ、音楽、映画等、趣味を懐古しながら、日々の生活を節約し、我慢を続けて行くブログ。

「発見!ノアの方舟?」です。

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

今日は「発見!ノアの方舟?」です。

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かつて私が小学生の頃、多くのオカルト物が日本中で流行していました。

ノストラダムスの予言」「ネッシー」「ゼナーカード」等々、その中で印象に残っているのが、この「ノアの方舟」です。

 

 世界が大洪水で滅びる時、神に選ばれた人間が船を作り、世界の動物たちをつがいで乗せ、その困難を乗り切った。

その伝説の方舟は、とある山の上に漂着し、今もそれが「存在」する。

しかし、山は険しく、近づく事は非常に困難だが、偶然にもそれを目撃した者の話だけが伝わり、残っている。

 

 もしそれが本当なら、聖書の記述は事実だった!という事になります。

 

 あれから約40年後の2015年、私はインターネットで方舟を調べてみる事にしました。当時、不鮮明な上空写真?の様な物しか公表されていなかったが、今なら、かなりの事が判明しているに違いありません。

 

 ノアの方舟は「旧約聖書」の「5~11章」に記載されています。

悪い人間を滅ぼす事に決めた神(ヤハウエ)は、神を信ずる「ノア」一族だけに船の建造を伝えます。

 

 建造期間は、はっきり書かれていないので不明ですが、約100年位はかかった可能性があるそうです。(また物語中、ノア氏はかなりの長寿で、方舟完成時600歳!とされています)

 

 そして始まった洪水は、40日昼夜続き、150日間(5ヶ月)増水。

地上の人々は全滅。

 

 その後、船上のノア氏は鳩を放し、鳩がオリーブの葉をくわえて帰った事で、大水が引いた事を知り、方舟はアララトの山々に到着。

(鳩が葉っぱをくわえているイラストや、平和のシンボルなのはここから来ているそうです)

 

 そこで、ノア氏は神に捧げものをし、神は二度と生物を滅ぼす事はしないと誓うと、空に虹をかけて、方舟のエピソードは終了します。

 

 寓話の様な、奇想天外、スケールの大きな物語です。

 

ノア氏の驚異的な寿命については、吸入する酸素量が少ない場合、若干生物の寿命が延びるという説がありますが、DNAの突然変異位しか説明が困難で、大きな謎です。

 

 そもそも、そんな洪水があったのか?

 

現在、世界各地に洪水伝説は残されおり、洪水自体はあった事がわかります。

ですが地球規模で人類が滅亡する洪水があったのか、と言えばそうでもなく、それだけの水が増え、引いていくならば、その水がどこに行ったのか?を解明せねばならず、これが上手く証明出来ない。

 

 そこで、例えばメソポタミアチグリス川~ユーフラテス川付近)地域などの、農耕作に適してはいるが、川の氾濫には弱い「沖積地帯」で氾濫が起き、そこに集まっていた農民を始めとする住人達が罹災した、という「局地的な河川の氾濫」が一番、納得できる洪水伝説の由来の様です。

 

 その他には火山活動によるもの。

(この場合、地中海沿岸のエトナ火山の噴火活動等)

 

 そして現在、非常に説得力が出て来たのが、1998年のコロンビア大学の教授2名が発表した「黒海洪水説」です。

 

 トルコ北部の「黒海」は、かつて氷河の溶けた水が流れ込む淡水湖で、水量も地中海に注ぎ込むほど豊富だった。

黒海沿岸は、農耕の為、多くの人々が集まっていたが、次第に流れ込む水量が少なくなり、水位が減少。

 

 紀元前約5600年、地中海から、逆に水位の低くなった黒海めがけて海水が流れ込み、沿岸の住人たちがその洪水の被害を受けた、という説です。

調査による物的証拠も出ているので、あながち的外れでは無いのでは?とされています。

 

 そして、このノアの方舟の物語には「下敷き」がある様です。

それは紀元前約3000年~約2600年の世界最古の書物

ギルガメッシュ叙事詩」の「粘土板11」の「洪水物語」です。

 

 ノアの方舟の「旧約聖書」の成立が1000年から100年。

そのストーリーも、かなり類似しており「ギルガメシュ」を下敷きにした可能性がかなり高い、とされています。

ならば後年、驚異的年齢の人物ノア氏は、創作物だった、とすれば納得できます。

 

 人口密集地の河川の氾濫や、黒海沿岸での洪水が、世界最古文明発祥の地である「メソポタミア」と近接している場所で起これば「伝説」になる可能性はかなり高くなります。

 

しかし「ギルガメシュ」がオリジナルなら「ノアの方舟」は「ノアの方舟」でなくなる事になります・・・。

 

 また現在、研究者により、方舟が漂着したというアララトの山々付近に何かの遺跡がある事がわかりました。これはGoogleアースで誰でも見る事が出来ます。

 

 wikiにも書かれているのが「39°26′4″N、44°15′3″E」海抜1870m付近。

しかし、正直コレあんまりよくわかりません。

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 ですがあまり離れていない場所「39°26'24.18"N 44°14'00.91"E」で見つかる木の葉型の巨大な何か。

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  方舟研究者たちは、これが「それ」であるとして、計測や地中へのスキャナーを開始、埋もれている内部のハリや桁材の存在を発見。

金属のリベットが使われている事や、イカリ(バラスト)となる、ロープを通す穴の開いた大きな石板も発見。

 

 現在、そこはトルコ政府の手で「ビジターセンター」(資料館の様な物)が建てられています。かなり重要なモノだという事を認識したのでしょうか?

 

 それとは別に「アララト山」の山腹北東部分に埋もれている物体がある、と言われ、かなりの目撃者がいます。実際過去にそこから「破片」や「壁材」を持ち帰るのに成功した者もいます。

 

 洪水の被害から、長大な時間が経過し、多くの人間が伝承した洪水の話は、伝言ゲームの様にどんどんぼやけていき、換骨奪胎し、おとぎ話や、神話になっていった。

 

 現在あるとされる遺跡は、洪水発生から数千年の間に作られた、伝説を手本に作られた「船の様な物」かも知れないし「単なる木造建築物」かも知れません。

が、もしかすると、もしかする・・・のかも知れません。

 

 おそらく宗教上の理由や、トルコ政府の思惑から、これ以上これらの遺跡が発掘されたり大きく研究される事は無いのではないか、と思われます。

 

 結局、これら方舟の「遺跡」は、ノア一族と動物達ではなく、現代人の多くの夢を乗せているのだろう、という結論になりました。

それでは、また次の更新まで!