「私と献血」です。
みなさん、こんにちわ。水の心です。
今日は、「私と献血」です。
先日、近所に出張献血車が来ているのを発見し、早速、参加しました。
既に、4回目のチャレンジです。
献血第1回目は、かなり前で当時ハローワークに行く途中、献血車を発見し、そこで受けました。
朝食を摂らずに、ハロワに行く途中だったので、何か食い物か、飲み物をもらえるのでは?という期待もありました。
結果、特に面白い事や、変わった事も無く、淡々と終了。栄養ドリンクをもらった記憶があります。
無事、社会の経験を広げる事が出来ました。
その後の記録を見ると、2年に一回は、献血に行っている事がわかります。
また、そこに至るまで、昔どこかで読んだ本の中で、
ゲルマンの荘園制度についての記述があり、ゲルマンの森深くに、荘園を開いた領主は、小作に食糧を作らせ、自分たちは、肉、作物を十分に食べ、荘園や、地方を守るために、戦争や小競り合いに出かけた、とありました。
その中で、有り余るカロリーを摂取していた領主たちは、そのエネルギーの放出として、自分の体に傷を入れ、血液を排出していた、という記述が、真偽のほどはわかりませんが、ありました。
「何か、血液には意味があるのか?」
当時、私は若く、過剰なエネルギーを排出する、という記述に、非常に興味がありました。
もしかしたら、造血機能の向上など、未知の臓器の機能向上が、期待できるかもしれない!
半分はその効果が知りたい、という動機もあり、第一回を受けてみたのです。
そこで、果たして、その効果があるのか、調べてみました。
かつて、中世、近代、欧州やアメリカにおいて「瀉血」(しゃけつ)という医療行為がなされていたそうです。
まさに前述の様な、血を抜いて、治療目的とする「医療行為」だそうです。
ですが、これが民間伝承に近い、根拠のないもので、発熱や下痢でも瀉血を行っていたそうです。
例外を除いては全く意味のない行為で、やり過ぎて落命する者もおり
「モーツァルト」「ジョージ・ワシントン」も瀉血のせいで亡くなったとあります。
「・・・血ィ取るの、意味ねぇのかよ~ィ?!」
何でも調べてみるもんです。今まで、知りませんでした・・・。
ここで、献血の条件を書いておきます。
〇年齢は、男子17歳、女子は18歳から、上限は共に69歳まで。
女子の血小板献血は、上限54歳まで。
〇「全血献血」という血液の採取と
〇体重、血色素量によっても、採取量、方法が変わります。
今回も、私の場合は、センターさんの「はい、400mlお願いします」
と素早い要請だったので「まぁいいか」と、そのまま受けました。
当日は、医師の問診や、血液の簡易検査、血圧の検査がありますので、会場に行った際に、相談のうえ自分に合った方法で、献血されるのが良いと思います。
また、自分の血液を知りたい方も、後ほど報告してくれます。
〇血液型、血球計数検査
〇B型、C型肝炎ウイルス検査、梅毒検査、
HTLV-1(リンパ球の一種T細胞が癌化する病気)検査
が後ほど報告されます。
これは、専用の機関が、各自治体にありますので、そちらで確認です。
私もチャレンジしましたが、予約のみで無料、非常に簡単です。
また、献血を控える条件として、
〇3日以内に、歯医者で治療した人
〇4週間以内に海外から帰国入国した人
〇1か月以内に、ピアスを開けた人
〇半年以内に不特定の異性と性的接触があった人
〇男性同士で性的接触があった人
〇麻薬覚せい剤の使用があった人
〇輸血、臓器移植があった人
〇ヒト由来プラセンタ注射薬を使用した人
〇3日以内に薬を服用
〇1年以内に予防接収を受けた人
〇3年以内に外国(欧、米、加を除く)に滞在
〇S55年以降、欧、サウジに1か月以上滞在
〇中南米諸国に4か月以上滞在
と、問診、正しい自己申告によって、やっと献血をする事が出来る、かなりハードルの高い行為です。
やはり、人の手がかかる後工程、作業もある事ですし、ルールにが従がわなければいけない、と思います。
また、私の様に、病院嫌い、歯医者も嫌い、そのくせ非常に健康。
そんな人間にも、非常に向いています。
あと、驚いたのは、日常の食生活も「役に立つ血液」の為には必要で、全く関係ない健康診断の時に、保健師さんから言われたのは
「油濃い物を食べた翌日は、脂で血液がドロドロになっているので、せっかくの献血が捨てられたはずですよ?」
「エェーッ?!」
自己管理は必要な様です。
そして「献血がもし、換金出来たら?」
現在、貧困に苦しんでいる私からしたら、臨時収入が出来る事は非常にありがたい事です。なぜ、売血が出来ないのか?ざっと調べてみました。
〇1960年代、売血は制度として成り立っており、お金になっていた。
〇売血するのは、低所得の肉体労働者が多く、その人たちは、覚せい剤の使用者であり、針の共用の為、肝炎が蔓延していた。
〇その献血回数も、赤血球数が回復しないうちに、献血するため、赤い血では無く、血漿の色である「黄色」が勝ってしまい「黄色い血」と呼ばれた。
〇売血者集めには暴力団が関与しており、売血をめぐる環境のモラルが低かった、とあり、輸血における、肝炎感染率は20%。
〇その為、親日派「ライシャワー駐日大使」の襲撃事件後の手術で、大使は肝炎に感染、あまりの事態に日本政府が動き国会で法制化。これを機に1969年売血が終息。
思いもよりませんでしたが、何処でも、何時の時代でも悪い輩はおり、搾取と、無責任な害毒の拡散を、行っていた様です。
換金を希望しても、それが善意により成り立つ様な社会の仕組みでは無い様です。
今の献血制度を確立するには、色々な人達の努力や、患者達の苦しみがあり、
善意の献血が成り立っていました。
また、前回の献血後、若干「クラッ」と来たことがあり、それを説明すると親切に献血後様子を見てもらえ、クラッと来たらしゃがむのだ。と丁寧に教えてもらえました。関係者の皆様にも気を使っていただき、いい時間を過ごさせてもらいました。
最初は、興味本位からの参加ですが、いつ自分や家族がお世話になるシステムかも知れないので、みなさんも、チャレンジされては、どうかな?と思います。
それでは、また次の更新まで!