「アブラハムの宗教、世界3大宗教」です。
みなさん、こんにちわ。水の心です。
今日は「アブラハムの宗教、世界3大宗教」です。
昔から不思議に思っていたのが、なぜ聖地エルサレムは、イスラム教、キリスト教と違う宗教でも、みんなが目指している場所なのだろう?
どうしてイスラエルは、パレスチナの老若男女を問答無用で狙撃射殺したり、コンクリートで高い壁を作り、領地を広げる様に入植し、パレスチナ人を迫害しているんだろう?
政治的にかなり難しい地域に存立しているのだろう?
という事で、今回はそこを調べてみる事にしました。
そこで非常に驚いたのが「ユダヤ教」から「キリスト教」と「イスラム教」が生まれていた、という事です。
その3つの宗教を含む総称として「アブラハムの宗教」と言われ、その「アブラハム」氏はユダヤ人、アラブ人の始祖とされ、偉大な預言者であり聖人。
「信仰の父」と言われ、それぞれの宗教で共通し重要な人物になっています。
3つの宗教が、あがめている神も同一。「ヤーヴェ、ヤハウエ」と言われる神。
キリスト教は経典として「新約聖書」と「旧約聖書」を持っていますが、ユダヤ教では「旧約聖書」が本家本元唯一の「聖書」になっており、イスラム教でも「旧約聖書」の一部を使用しています。
歴史上の流れでは、紀元前500年、ヘブライ人が戦乱混乱の後、パレスチナに戻り、そこでヘブライ人によるヘブライ人の為の宗教として「モーセの十戒」を基礎として作ったのが「ユダヤ教」
そこから500年経過し、紀元0年「キリスト」氏が出現。
ユダヤ教ではあるが、博愛と慈愛という新しい教えを説きはじめる。
そのため紀元後約30年に「キリスト」氏は「ユダヤ教徒」により異端として、ゴルゴタの丘で処刑される。
ですが、キリスト氏は3日後復活し、40日後に天に帰っていきます。
(キリスト氏の地球上の生物的に有り得ない多くの奇跡は、現在でも書物に残されています)
その後「キリスト教」はその教義の性質から「ヘブライ人向けの宗教」から、西欧へ外に外に向いて広がっていきます。
そこから紀元後600年「ムハンマド」氏が「天使ガブリエル」から啓示を受け、イスラム教を開く。
「キリスト教」よりも中東になじんだ宗教となっています。
母体のユダヤ教からすれば、キリスト教は500年後突然出てきた、別物になるだろうし、イスラム教は1100年後に出てきた、これまた別物、という感覚ではないか、と思われます。
また困った事に、ユダヤ教が「キリスト」氏をハリツケ後処刑した事によって、潜在的にキリスト教徒の恨みをかってしまったことです。
ユダヤ人が、生産性の低い「金融」に強い民族だったのも影響し、ヨーロッパ、ロシアでのユダヤ人排斥や「カソリック教徒」だったヒトラー率いるナチスのユダヤ人政策による迫害が、現在、ユダヤ人の「免罪符」になり、またそれを錦の御旗として、他宗教他民族への圧力をやり易くしている側面もあるそうです。
そして、なぜそれぞれの教徒たちは「エルサレム」を目指すのか?
①ユダヤ教にとっては、神殿の遺跡「嘆きの壁」があり、これも信仰の対象。
②キリスト教にとっては、キリスト氏が処刑された跡地に建てられた「聖墳墓教会」が存在。
③イスラム教にとっては、前述のアブラハム氏に関連する「聖なる岩」があった場所で「ムハンマド氏が昇天の旅」をする出来事があり、紀元601年から700年には「岩のドーム」が作られている。
④聖人であるアブラハム氏に関連する「聖なる岩」は3大宗教共通である。
源流を同じにするため、当然聖地も重なってしまい、3大宗教それぞれの教徒は同じ場所を参拝するという事がわかりました。
答えは、イスラエルのユダヤ教の教えには「神との契約」により豊かな土地「パレスチナ」を与えられる、となっているためです。
更に第一次大戦の際「イギリス」が「アラブ人」と「ユダヤ人」双方に「建国させる約束」をして戦争に協力させたため、増々話がややこしくなってしまいました。
その後、前述のユダヤ人迫害で、ユダヤ人入植者の流入数が増えていき、ほか世界に散らばったユダヤ人達は、アメリカでのロビー活動などをしつつ、その結果1948年イスラエルを建国。
その後イスラエルは、神の契約を成就させる事の反作用によって、周りの中東諸国と紛争を起こしながら時は流れ、現在「ガザ地区」「パレスチナ自治区」に住むアラブ人達を迫害している、とういうのが現在の状況だそうです。
イスラエルの中からでも、識者による暴力弾圧や殺戮への反対意見は出てきています。
が、イスラエルからイスラム、キリストからイスラム、またその逆も、という様に、宗教が宗教を、禍根が禍根を呼ぶ構造は、終わる事は無いようです。
2000年以上も前から起こった、人々の心を救う宗教は形を変えつつ、まるで生き物の様に、人類ある限り未来に続いていきます。
3大宗教は、その長い歴史の中で、お互い折り合いを付けたりはしていますが、基本相容れない様な感じですし、また各々それぞれの中で教義が変わっていったり、その時間的、規模的巨大さから、既に人知を超えている気がします。
だからこそ、神の宗教なのだ、とは思います。
極東と呼ばれる日本の自然歴史文化では、これからも太刀打ちできない気がします。洗練された政治構造により国を良く出来る、と思ったが戦後70年でもうグダグダ。官僚議会制では、世界戦略を持ち、生存競争に死力を尽くす文明発祥の地とやり合う事は無理でしょう。
この人類(=宗教)の歴史に善悪の結論など入るスキもなく、今回のブログ記事は歴史事実の確認で終わりました。
また、その後のイスラムの宗派、IS問題、キリスト教派まで理解出来たら、また世界の見方が深くなるかもしれないと思いつつ・・・
それでは、また次の更新まで!